私は、冥王星のテーマである「破壊(崩壊)と再生(創造)」を通じて、水瓶座的な「’知る=I know’の根本が覆され刷新され、個としてのあり方が根本から問われる時代」であると考えている。
John氏の動画解説にもあったように、かつて冥王星射手座から山羊座にかけて情報技術(インターネットやAIなど)の発達、普及、定着を通して、個人レベルで情報をダイレクトに受け取り、また個人から情報を自由に発信することが可能となり、情報技術がお金を稼いだり人間関係を広げるツールとして人間社会に深く組み込まれる時代となった。
しかし、洪水のように流れ込んでくる玉石混交の情報をいかに取捨選択していくかは、個としての己の判断能力や感性、あり方生き方そのものが問われる。次の冥王星水瓶座時代では、ここがテーマになると思う。そしてこのテーマは、単に客観的な事実がどうであるか、科学的であるかどうかという従来の自然科学的観点だけではなく、己がこの世界をどう捉えるか、どう見るかという非常に主観的・能動的・哲学的な観点も不可欠であると考える。
大切なのは、現状の世界の構造的な矛盾や問題を俯瞰していないと、結局のところ一般大衆である我々はゼロサムゲームに基づく金融資本主義社会の中で権力を持つ層や、このシステムの中で多大なメリットを享受している層によって意図的に情報操作されるがままの受け身で居続けることになり、彼らに依存・服従・従属する立場から決して逃れることはできないということだ。そこでは数々の情報を享受した大衆は自身があたかも知ったつもり(I know)になっているものの、その実彼らに都合の良いシステムに体よく利用され、搾取対象となり続けて自身の足元を掬われかねないリスクがあるということだ。
私が予測し仮説とするのは「今までの人間社会に深く浸透して連綿と続いてきたあらゆる’支配−依存’というピラミッド型のシステムから’個人レベルで’脱却するか否か、という個人のあり方によって、同じ冥王星水瓶座時代であっても、全く異なる世界線を歩むのではないか?」ということだ。
個人がいかに世界を、そして自分自身を「知る」のか。これは水瓶座に至るまでの10星座がもつ要素すべてをいかに総括しているかによるだろう。特に原初的な「己(おのれ)」(←これは12星座一番目である牡羊座的なI amの要素そのもの)を内在させること(=個の確立)の重要さがみえてくる。
水瓶座に象徴される情報化社会の一側面として、世界全体が高度な監視システムに組み込まれたデジタル監視管理社会になる可能性もある。ここでは、個人が「I know」という「自ら真実を’知る’」という当事者の主体性よりも「一方的に自分の事を’知られ’、徹底的に権力者の管理下に置かれる」という受け身的で権力者による暴虐を受け入れざるを得ない状態に晒されるリスクもあるだろう。(現状もうすでにそうなりつつあるとも言える)
一方ポジティブな要素としては、大手GAFAの息がかかっていない自立分散型のITのインフラ(ネットサーバーなど)による草の根的に自由に発信するメディアが同時多発的に発生してくる可能性もある。
あとひとつ予測しているのが、これまで作り上げてきた情報化社会のネットワークの根幹であるインフラそのものが根こそぎぶっ壊されるという可能性もあるのではないか?ということだ。すなわち、情報技術の根幹および現在の文明社会を成り立たせている「電気供給そのもの」が絶たれてしまう事態に陥る可能性だ。
実際ここ最近、世界的にエネルギー価格が高騰しており、一般民衆にとって生活基盤を成り立たせるのに不可欠な電気代を支払うことが異常な負担となってのしかかってきている。
これは「電気供給のみならずお金の供給」すなわち「人間社会を人体に例えると、’血液’に当たる部分の供給」に冥王星的な「破壊」が作用していることに他ならないのではないだろうか。
ひょっとして今後さらに、従来の電気供給システムにエラーが起こったりまともに供給されなくなってくる事態が起こり、ITに全面的に依拠していた分野がにっちもさっちもいかなくなり、むしろ逆にIT化が遅れていたり進まず旧来型でやりくりしていた分野が脚光を浴びたりそのポテンシャルを見直されたりするという事態が起こってくる可能性もある。さらいえばそもそも電気やデジタルに頼らない生き方が見直されることになるかも知れない。そうなると、バーチャルなオンラインで繋がっていた人間関係よりもむしろリアルな地続きで繋がるローカルな人間関係、すなわち泥臭くて(地エレメント)湿っぽくて(水エレメント)暑苦しい(火エレメント)アナログ的な要素が本領を発揮するのではないか、とも思う。これは次なる冥王星魚座もしくは水の時代に通じるテーマのかもしれないが。
また、以前から注目されつつある「フリーエネルギー論」などの説にも見られるように、従来の電気供給とは次元の異なる電気供給システムが具現化するのかもしれない。
しかしこれらも、地の時代のひとつの象徴である「支配と服従」のピラミッド的な組織構造や現行の金融資本主義システムに基づく価値観を引き摺ったままでは、どれだけ新しい技術が開発されたとて、富の分配の格差が広がり続けていずれは限界がくるのは必至であろう。
すなわちここで重要なのは「支配と依存、支配と服従」のメカニズムがいかにこの世界に、そしてまぎれもない自分自身の内側に浸透し蔓延しているかということを’知る’ことである。さらに、この’知る=I know’に到達した我々が次にどのようなアクションに出るかが問われている。私はこのメカニズムから「外部を当てにせず自ら主体的に」脱却していくことが真の水瓶座的な「個」を獲得していくことになると考えている。
自身の主体性を取り戻す。すなわち「周りがどうだから」とか「権力のある者に言われるからしかたなくこうせざるを得ない」という受け身的・服従者的・極論をいえば奴隷的なスタンスに留まるのではなく、一体この「己」はどうしたいのか。この己に嘘偽りなく自身の純粋な意思と意図にしたがって生きる能動性が求められると思う。その中には自身にとって本意でないことや魂にとって従いたくないことには服従せず命を賭けて’拒否する’ことも含まれるであろう。この、己の自由を守るために極論言うと’死’をも厭わない覚悟を持った己=個人が増えていくことが鍵だと思う。
また、冥王星水瓶座的な「破壊」や「刷新」の過程で、さまざまな変化や突発的な事象に見舞われることもあるだろうが、それに伴う各種メディアなどからの有象無象の情報に煽られ、むやみに不安や恐れや怒りに支配されたり群集心理に流されることのないよう、それこそ水瓶座の要素であるI know(我知る) に続くJohn氏の仮説であるサブキーワードI don't care (我気にせず)に象徴される「周りの空気に無頓着でマイペースな個としてのあり方」を保つことが重要になってくると思う。
主体性とは、頭脳と魂、身体性の3つを統合して作動するものだと思う。昨今スピリチュアル界隈を中心として風の時代と持て囃されているが、風の要素「だけ」を持ち上げるのではなく、地、水、火の要素もバランスよく獲得していかねばならない。高度な情報技術も、そもそもそれを生み出しコントロールする人間の頭脳や知性なくしては成り立たないし意味をなさない。そしてこの人間の頭脳や知性は、それを宿す身体という物質と決して切り離せない。地や水や火といった風以外のエレメンツを生かさないと、単に頭でっかちのバーチャルリアリティの世界で身体性を失い、本来生き物としての本能や人間らしさを毀損するリスクがある。
重ねて言うが、冥王星水瓶座時代とは、ともすると己の身体性を奪われ魂を操られ、頭脳を権力者の都合の良いように体よくこき使われ消耗され結果的に個人としての己の自由が「破壊」されてしまうリスクを孕んでいるのである。
追記:
上記の他に、冥王星水瓶座時代には「コミュニティや共同体のあり方も再編成される」と予測している。
会社や企業といった組織の働き方、地域社会の自治会組織のあり方、そして学校関係のPTA、友人間や家族親族の付き合いなどありとあらゆるコミュニティで、冥王星山羊座時代の最後に起こったパンデミックを通じて、人々のコミュニケーション形態がオンライン化し簡素化・スリム化する反面、リアルな触れ合いが阻害され「身体感覚」が蔑ろにされてきた面も否めない。コミュニティ内での高齢化が進み世代交代が進んだこともあいまって、既存のしきたりや慣例が廃止あるいは淘汰される一方で、オンライン化によりダイレクトな五感を通じて交流し合う生き物本来としてのコミュニケーションが大きく阻害されている。リアルに交流するにしても、感染予防・命を守ることが第一という大義名分の元、マスク着用必須・ソーシャルディスタンス確保というマナーが半ば常識化されることで、身体性が蔑ろにされ個人レベルでの身体の自由意志や権利が抑圧されている。
これに関しても、今後はバーチャル化の要素とリアルの要素をうまく統合していく必要があるだろう。また、従来のコミュニティにみられる支配と依存の構造を見抜いて理不尽な服従を拒否し、自分はこうだと意思表明し行動に移す個人レベルの勇気が問われると思う。
ちなみに、これを書きながら気づいたのだが、冥王星Plutoのマークが「己(おのれ)」「已(すでに・やめる)」「巳(み・へび・胎児)」の漢字と似通っているのは単なる偶然だろうか?これら3つの漢字には、多分に冥王星的なニュアンスが含まれている気がするのだ。